思い出の場所 あの日のうどん (短編小説)の詳細

思い出の場所 あの日のうどん (短編小説)
放浪うどん人 ー 全国のうどん屋さんをめざして ー
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記事タイトル 思い出の場所 あの日のうどん (短編小説)
概要

この短編小説は、2016年11月に当ブログでアップした作品です。現在、外出自粛要請が出ている中で、時間を持て余しているようでしたら、お暇潰しに読んでいただければと思います。ー 思い出の場所 あの日のうどん ー高校3年の6月、母と父が離婚した。 父の経営していた会社がダメになったか…… more らだ。 父は多額の借金をしており、このままでは一家心中もやむを得ない状況だった。 母は離婚する事で、子供を守ろうとしたのだ。 早朝、夜逃げ同然に住み慣れた町を離れた・・・父だけを残して。 悲しいとかそんな思いは無かった・・・。 ただ、未来が曇りガラスの向こうに行った気がした・・・。   逃げた先は、築30年以上の古い家。 小さな台所に狭いお風呂、そして四畳半と六畳の部屋。 そこで私と母、姉と弟の4人で住むことになった・・・。 これまで住んでいた家の四分の一にも満たない空間・・・惨めだった。 新居に移った晩、テレビでは映画「アンネの日記」が放送されていた。 隠れ家に移り住むフランクファミリーが、今のこの状況とオーバーラップした。 そうなんだ・・・この家は隠れ家なんだ・・・。 そう思った時、台所から母の泣く声が聞こえた・・・。 小さく背中を丸めて泣く母の姿を見て、はじめて悲しみが押し寄せてきた。 この日の夜、私は眠ることが出来なかった・・・。   翌朝、私は学校へ向かった。 校門に担任の山川先生が立っていた。 「浩、おまえ昨日はなんで無断欠席したんや!あとで職員室に来い!」山川先生の怒号が周囲に響いた。 夜逃げ同然の引越しは、本当に急な事で、学校へ連絡する間も無かった。 私は職員室で山川先生に事情を話した。 先生は心配そうな顔つきで私の方を見ていた。 「お前、大丈夫か?」 「はい、大丈夫です・・・」私は力なく返答した。 すると先生が「ちょっとついて来い」と言って職員室を出た。 どこに連れて行かれるのだろう? 私は先生の後を追った・・・。 辿り着いた先は学食だった。   先生が「うどんを二つ!」と声をあげた。 学食のおばさんが手際よくうどんを作り上げる。 「はい、うどん二つどうぞ!」と言っておばさんがうどんをカウンターに置く。 私と先生はうどんを受取るとテーブルに着いた。 「浩食え。」そう言って先生はうどんを食べ始めた。 しばらく先生がうどんを食べている様子を、私はただじっと眺めていた。 「早く食え。」と先生。 私はゆっくりと箸を持ち、丼ぶりを持ち上げ、出汁をひと口飲んだ。 そう言えば昨日から何も食べていなかった。 何かを食べる心境ではなかった・・・。 母も台所に立ったものの、その後はずーっと泣いていて料理をするどころでは無かった。 出汁をひと口飲んだ時、私の瞳に涙があふれた・・・。 「浩・・・苦しい時や、辛くて明日が見えない時でも、必ず何かを食え。」 「食べることは生きていくことなんや・・・力を蓄えて未来に向かっていくことなんや。」 「浩、負けるなよ!俺も出来る限りの事はする、だから負けるな!」 先生が震える声でそう言ってくれた・・・私は嬉しくて、泣いてしまった・・・。 引越ししてから数日たったある日、知合いの男性が、家を訪ねてきた。 父方の親戚から、この家の場所を聞いたらしい・・・。 その知合いの男性は、私が中学生時代、一緒に遊んでいた同級生の父親でした。 父は、その同級生の父親からお金を借りていたようだ・・・。 私は惨めな思いでいっぱいになった。 私は父の事を憎んだ・・・。  同級生の父親は、母に「お金を返してほしい」と言った。 母は涙を流しながら「申し訳ありません・・・、今、お返しできるお金がありません」 そう言って何度も何度も頭を下げた。 同級生の父親は、そんな母の姿を見て不憫に思ったのか、そのあとは何も言わずに帰っていった。 これからも、こうして借金の返済を求めて人が訪ねて来るのだろうか? 私は大きな不安に押し潰されそうになった・・・。 ただ、父の事を信じてお金を貸してくれた人達・・・、 その人達も父の被害者なのだ・・・。   私の父はとにかく遊び人だった。 家庭を顧みず、外面の良い人だった。 会社を経営していたとは言え、収入のほとんどは父が外でばら撒いていた。 そんな父の弟、私の叔父だが、その叔父からも借金の返済を求められた。 身内だからと言って容赦はない。 叔父は「兄弟でもお金は他人!」と言い放った・・・。 確かに叔父も被害者だが・・・、 これまで優しい叔父だと思っていただけに寂しく感じた。 結局、父方の親戚は、誰ひとりとして私達家族の事を助けてはくれなかった。 私達家族は父方の親戚から見捨てられたのだ・・・。 それに加えて、私達家族に良くしてくれていた父の友人達も、 手のひらを返すように私達に冷たくなった。 「金の切れ目が縁の切れ目」とはよく言ったものだ。 あとで冷たく接してくるのなら、最初から優しくしてほしくはなかった。 私の心から「人を信じる」という言葉が薄れていった・・・。   ただ、私の救いは学校にあった。 部活が大好きだった。 私は軽音楽部に所属していた。 今回のことで部の同期や後輩、そして顧問の先生が心配してくれた。 彼等の心配してくれる姿は本物だった、見掛け倒しの優しさとは決して違っていた。 「人を信じる」という言葉が薄れてきていたけれど、それでも人を信じようと思いとどまったのは、 担任の山川先生をはじめ、軽音楽部のみんなのおかげである事は間違いなかった。 私は学校が大好きだった。   部活が終わり、学校からの帰り道、だんだん空が暗くなっていく。 家へ帰るのが辛かった・・・。 母はよく泣いた・・・その姿を見るのが辛かったのだ・・・。 「おかん、元気だしや。」そう言って励ましたが、それでも母は泣いた・・・。 仕方ないことだった・・・母が失ったものは、あまりにも大きかったから・・・。 夜明けを遠くに感じた・・・。   しばらくは家にこもっていた母だったが、職探しの為、出かけるようになった。 母は家族を守るために歩き始めたのだ。 姉も大学を辞め、職を探しはじめた。 中学3年だった弟は、高校への道を、この時はあきらめていたのかもしれない。 私はというと、高校を中退するかどうか、この期に及んでも決心出来ないでいた・・・。 高校を辞めることは、この時の私にとって、未来を完全に失うことのように思えたからだ。 それでもやはり、高校は辞めるべきなのだろう・・・。 そう思い始めていたのも事実だった。   その日私は、部活仲間と学食でうどんを食べていた。 山川先生と一緒にうどんを食べたあの日以来、気持ちが沈む時にはうどんを食べるようになった。 うどんを食べながら、部活の仲間に「俺、高校辞めなあかんわ・・・。」と話を切り出した。 「生活が苦しいんか?」と仲間のひとりが言う。 「うん。・・・俺が学校辞めて働かないと、にっちもさっちもいかん・・・。」私は言った。 部活の後輩が、私の目をまっすぐ見て「先輩、辞めんといて下さい。」と・・・。 「せやけど、どうにもならん・・・。」後輩から目をそらした・・・。 すると後輩が「先輩、僕のバイト代からすこしカンパしますから、辞めんといて下さい」と言う。 同期の仲間までが「俺かてカンパするから、どうにかならんか?」と言い出した。 「ありがとう・・・でも、どうにもならん。」私はそう言った・・・。 ただ、その時の私は、みんなの気持ちが嬉しくて涙をこらえるのに必死だった。   季節は冬、母と父が離婚して半年が経った。 この頃には何故か、借金の返済を求める声が我が家から聞こえなくなった。 父がお金を工面し、少しずつでも返済をしていたのかも知れない・・・。 ただ、私達は依然と父の居場所は知らないままだった・・・知ろうとも思わなかった。 母は、自宅から近い製造工場に就職した。 姉も、自宅から自転車で10分ほどの場所にある、会社の事務員として働き始めた。 家族にようやく夜明けが見えてきたというのに、私は結局、高校を辞める事が出来ずにいた・・・。   ある日、私は母に相談した。 「俺、バイトするから学校へ通ってもええか?」 「部活の仲間も協力するから辞めんなて言うてくれるねん・・・。」母にそう言った。 すると母は「あんたは何も気にせんでええ、高校ぐらいちゃんと出とき。 ええ友達もおるやん、大事にせなあかんで。」 母はそう言った後、私を見てニコッと笑った。 その時の母の笑顔が、今でもしっかりと目に焼きついている・・・。   翌日、部活のみんなに話した「俺、学校を辞めんことにした。バイトはするけどな。」と。 みんな喜んでくれた。 何よりも、高校1年生の時から共に頑張ってきた部活仲間と、 一緒に卒業できる事が嬉しかった。 喜びも悲しみも、同じように共有してきた仲間達だから・・・。   年が明け、我が家もなんとか無事に正月を迎えることができた。 母も姉も仕事に慣れてきた頃で、母もすっかり涙を見せなくなった。 とても貧乏だったけど、食べる事に困る事はなかった。 いや、本当は困っていたのかもしれないけど、母と姉が切り盛りしていたのだろう、 私と弟が、ひもじい思いをする事は無かった。 私は母の強さを感じていた。 生活保護を受けても良い状況なのに、それすら受けずにいた。 自分の力だけで生きて行こうとしていた。 母には意地みたいなものがあったように思える。 母は、私が思う以上にプライドの高い人なんだと気づかされた。 その母が、笑顔を見せる時が多くなった、我が家にもようやく笑いが戻って来た。 私はすでに卒業後の就職先が内定していた。 中学3年生の弟も、高校を目指して受験勉強に励んでいた。   私の高校生活は、昨日は泣いているかと思えば、今日は笑い転げたり、 顔を下に向けて歩いているかと思えば、空を見上げてあっけらかんとしていたり、 友達にいたずらしたり、友達と未来を見つめたり、友達と喧嘩したり、友達と一緒に泣いたり・・・。 喜怒哀楽をからだ全体で表現していた素晴らしい高校生活だった。 それはまるで、毎日がお祭りのようだった。 友達にも先生にも恵まれ、多くの愛情に包まれていた高校生活だった。 そんな高校生活に、幕を下ろす時が来た・・・。   卒業式の朝。 母はどうしても仕事が休めず、式へ出席することが出来なかった。 だから私は、母がいない卒業式だけど、そこに母がいるような気持ちで卒業式に臨んだ。 こうして卒業出来るのは、母のおかげだから・・・。 私は胸を張り、全校生徒が見守る中、壇上で卒業証書を受取った。 後戻りの出来ない切符を手にした気持ちになった。 生きる覚悟が出来た・・・。   式を終え、講堂を出ると、部の仲間達が自然と集まってきた。 真っ青な空に、みんなの笑顔がとても映えていた。 この日を境に、もう生涯会うことのない仲間がいるかもしれない・・・。 私の命は彼等によって強くなった。彼等に命を育ててもらった・・・。 彼等もまた、私と同じように思っていたのかもしれない。 でも、私達はまだ若かった、誰一人「ありがとう。」なんて言葉を出さなかった。 「じゃあな!」、「またな!」その言葉だけが、青空の中にこだました。   友達と別れたあと、私はひとりで担任の山川先生の元へ向かった。 母と父が離婚したあと、私の事を何かと気にかけてくれたのが山川先生だった。 私が沈んだ顔をしていると、いつも学食でうどんを奢ってくれた。 うどんを食べていると、先生はいつも「香川県の本場の讃岐うどんは美味しいぞ!」と言って、 先生が学生の頃、香川県でうどん屋さん巡りの旅をした話を聞かせてくれた。 その話を聞く度に、悩んでいた事がいつの間にか消え、 香川県へ行きたい!という思いだけが残るようになった。 職員室へ入ると山川先生が座っていた。 先生はすぐ私に気づき、「そろそろ来るやろうと思っていた。」と笑顔で言った。 「今日は学食が休みやから表に行こう。」そう言って、学校の外へ出た。   学校から歩いて1分ほどの場所に老舗のうどん屋さんがあり、 先生と私はそのお店に入った。 店内に入ってすぐ「浩!」と、私の名を呼ぶ声が聞こえた。 その声の方向に目をやると、そこには母が・・・母の笑顔があった。 「なんでおかんがここにおるん?」私がそう言うと、「まわ座れ。」と先生。 「浩のお母さんな、卒業式がどうしても見たくなって、会社に無理言って午前中だけ休みを頂いたそうや。」 「浩が卒業証書を受取ったところを見たらすぐに会社へ戻る予定やったけど、 先生が引きとめて、ここへ来てもらったんや」 「先生な、最後にどうしても浩と、浩のお母さんと一緒にうどんを食べたかったんや・・。」 先生はそう言うと、きつねうどんを三つ注文した。   母が卒業式に来てくれた事は、私にはとても嬉しいことだった。 でも、そういう感情を素直に出せなかった・・・。 「おかん、無理して来んかってもよかったのに・・・。」と、少し困惑した顔で言った。 でも母は、そんな私の言葉なんて気にかけず、終始笑顔を絶やさなかった。 “おかん・・・来てくれてありがとう・・・。” 私は心の中でつぶやいた。   先生は母の前でも、例の香川県でのうどん屋さん巡りの旅を楽しそうに話していた。 「先生の話を聞いてると、香川へ行きたくなるわ。 今度、息子と私を連れて行って下さい。」母が笑いながらそう言った。 「お母さん、それいいですね!浩の初任給が入ったら、その初任給で行きましょう!」と先生。 「先生、それがいいわ。浩のおごりで行きましょう。」と母。 「おかんも先生もええ加減にしてや。」そう言いながらも、どこかでそうなれば良いなと私は願っていた。 母と、山川先生と、三人で一緒に過ごしたこの時間が、私の高校生活最後の時間となった。 この時に食べたきつねうどんの味を、私は生涯忘れることはなかった・・・。   高校卒業後の私は、仕事よりも遊びが中心の生活を送っていた。 仕事も長続きせず、何度か転職を繰り返した。 山川先生にも合わす顔が無いため、疎遠になっていった。 そんな生活が5年ほど続いた・・・。 そして、そんな生活からようやく落着いた頃、私は婚約をした。 その時なぜか担任だった山川先生の事を思い出した。 “そうだ、独身生活最後の記念で、山川先生と香川へ行こう” 私の初任給で香川県へ行くことは叶わなかったけど、 山川先生と香川県でうどん屋さん巡りをしたいという思いはあの頃のままだ・・・。 久しぶりに先生のお宅へ電話を入れてみた。 すると先生の奥様が電話に出られたので、 「山川先生の元教え子で浩と言いますが、先生はご在宅でしょうか?」 私がそう訊ねると、 奥様は「浩さん?・・・ああ、主人からお名前を伺ったことがあります。」と言った。 ただ、その後に思いもかけない言葉を耳にする。 「浩さん・・・主人は2年前に交通事故で亡くなりました・・・。」と奥様。 私の中で何かが音を立てて崩れた・・・・。 「すみません・・・そういう事とは知らず、大変失礼なお電話をして・・・」 私はそーっと受話器を置き、しばらくその場で立ちすくんだ・・・。 “山川先生が亡くなっていたなんて・・・。“ “何も知らないでいたなんて・・・。” 涙がボロボロと落ちる。 “一緒に香川へ行きたかったなぁ・・・また一緒にうどんを食べたかったなぁ・・・。” 涙がボロボロと落ちる・・・。   山川先生の死を知ってから半年して、私は結婚した。 新婚旅行と言えるのかどうか分からないが、結婚式を挙げた後、 私と妻と、そして私の母の三人で香川県へ旅行した。 もちろん、山川先生の遺影と一緒に・・・。 うどんをたくさん食べて、琴平では温泉にも入り、金比羅参りもして、 観音寺の銭形砂絵なども見学した。 妻も母も喜んでくれて、とても楽しい旅行だった。 一生忘れることのない旅行となった・・・。 月日は流れ、香川県の旅行から30年経った・・・。 父の事を風の噂で聞いた。 新しい家族と共に、元気に人生を送っているようだ。 あの父も、きっと、家族の大切さがわかったのだろう。 父への憎しみも、私の中からいつしか消えていた。 母は病気を患い、享年77歳でこの世を去った・・・。 母が亡くなる2ヶ月前、実家で母の手料理を食べた。 帰り際、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれた・・・、そんな事は今まで無かった事だった。 結局、その日が母の手料理を食べた最後の日となった。 あの時、母は自分の運命をわかっていたのかもしれない。 雨の降る昼下がり、母はたったひとりで旅立って逝った。 母は、最期にどんな言葉を口にしたのだろう・・・? 最期は苦しかったのだろうか? それとも眠るように逝ったのか? 今でもその事を考えてしまう・・・。 葬式の日、眠りについた母の顔を見て、“おかん・・・ごめんな・・・。” 私にはその言葉しか言えなかった。 私は、親不孝な息子だった・・・。 父と別れてから、必死になって家族を守ってくれた母。 貧乏だったのに、ひもじい思いをさせないでくれた母。 苦しい生活の中、ギターを買ってくれた母。 高校の卒業式、こそっと見に来てくれた母。 いつまでも見送ってくれた母・・・。 “おかん、ありがとう。”   私は久しぶりに、母校の近くにある、あの老舗のうどん屋さんへ訪ねてみたくなった。 母と山川先生と私の三人で、きつねうどんを食べながら過ごした、高校生活最後の時間・・・。 今でも鮮明に覚えている。 あの時先生は、無事に卒業出来た私の事を、母と一緒に祝いたかったのだろう。 きつねうどんでお祝いだなんて・・・先生らしい・・・。 あの時と同じように、きつねうどんを食べたいと思った。 そんな事を思いながらお店のあった場所へ行くと、あのうどん屋さんの姿はそこになかった・・・。 小さなパーキングに変わっていた。 私はしばし、その場で立ちすくんでいた。 そうだよな・・・思い出の場所が、ずーっとそこにあるとは限らないのだ・・・。 母校も6年前に廃校となり、今は見る影も無くなっていた。 思い出の場所が消えるのは呆気ないものだ・・・。 ただ、思い出の場所が消えても、大切なものは心に残っている・・・。 私は空を見上げた・・・。 その時、風が言葉を運んできた、 “「先生の話を聞いてると、香川へ行きたくなるわ。今度、息子と私を連れて行って下さい。」” “「お母さん、それいいですね!浩の初任給が入ったら、その初任給で行きましょう!」” 懐かしい先生の声、そして母の声が聞こえた。 あの日のうどんを、もう一度食べたかった・・・。 私の瞳に映る空が、大きく波打っていた・・・。   ー 思い出の場所  あの日のうどん 完 ー                                                                                                     作:放浪うどん人tati close

思い出の場所 あの日のうどん (短編小説)
サイト名 放浪うどん人 ー 全国のうどん屋さんをめざして ー
タグ うどん オリジナル短編小説
投稿日時 2020-04-13 01:20:02

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